現代社会における湯治
最近書くことはこんなことばかり。
週末にならないと温泉♨️に行けないから書きたいのに温泉♨️の記事が書けないおいら。
そんなおいらが温泉♨️に入っていてふと考えることがある。
湯治についてだ。
温泉♨️に浸かって、その後ゆっくり寝て休み、また温泉♨️または岩盤浴などで身体を温め、また休むといった具合に、身体の不調や怪我の治癒を行うものだ。
以前おいらが一人旅で行った老神温泉でのことだ。
温泉巡りの旅として、特定の温泉♨️三つに入れる「湯巡り手形(1500))」であちこちの温泉に入って楽しんだ旅だ。
しかし、老神温泉には潰れた店などがたくさんあった。
看板は残っているものの、建物の外観も内部も完全に廃墟と化している。
その中に、「湯治歓迎」やら「湯治場」など書かれた廃墟があった。
今は全国的に温泉街は廃れ始めているが、老神温泉もその一つのようだった…
老神温泉の話はまた今度として、湯治というのも廃れ始めているのではないか?そう考えた。
最近の旅行と言うと、観光地を巡って、旅館に泊まり、食事と温泉を楽しむというのが定番の一つだ。
温泉は旅行の一部で、単純に湯治目的で温泉に向かうというのは少なくなったのではないか?
あくまでもおいらの想像だが。
肉体的にも精神的にも疲れが溜まるサラリーマンは、湯治に行きたいと思ってもなかなか休暇を取るのが難しいのが現実だ。
温泉行くから休みください、と言う訳にはいかないし。
そこでおいらは考える。
忙しい現代人にとっての湯治とは、平日に仕事を頑張って、週末の休みに日帰り温泉でゆっくりのんびりすることなのではないか?
もっと気軽に温泉に入れる社会体制にするのは難しいし時間もかかるだろう。
だが、身近な日帰り温泉で疲れを癒すことはできるのではないか?
例えば「湯けむり横丁」など。
そんな考えを持つおいらであった。